箱根96 化学の話

有機固体若手の会 1996年12月 冬の学校(於 箱根)

「分子の上のπ電子のふるまい」

     東邦大理 田村雅史

意図: 分子内の問題 vs. 固体の問題  共通の視点で扱えるもの
     Chemistry     Physics   ピックアップ
     
    より積極的な関わりの可能性を探る

   その前に...
     分子内の話を記述するコトバ・ルール etc.の確認
    (定性的:電子の数,結合のトポロジー)


内容

  1. 構造式
  2. 軌道の形と結合の方向
  3. π電子の数
  4. 結合の形成
  5. 分子の安定性
  6. π電子の非局在化
  7. 分子内の相関

1. 構造式

省略記法

これを正しく覚えておけば十分

ルール

  1. コーナーと末端にC
  2. Cについた-Hは省略

簡単な(よく使う)基(group)の 元素記号
Me- (メチル): CH3- =
Et- (エチル): CH3CH2- = C2H5- =
i-Pr- (イソプロピル): (CH3)2CH- = 
t-Bu- (ターシャリブチル): (CH3)3C- = =
Ac (アクチニウムではなくてアセチル): CH3-C0- =
φ- or Ph- (フェニル): C6H5- = Ar:ベンゼンかその誘導体からH1個を抜いた置換基 (アルゴンではなくてアリールAryl.紛らわしいことにアリルAllyl CH2=CHCH2-というのもある.)
紛らわしい場合には使用しない方がよいが,他人が論文に使っているのが理解できないと困ることがある.

練習問題

って何?  Et2Oって何? AcOHって何?


原子の形式荷電(その1)・・・中性状態

     

         s電子2個,p電子6個の計8個ある(等電子的)

注意

結合線(価標)(2電子)は,両側の原子に分割して1個カウント

描かれていない非結合電子対=lone pair がある


2. 軌道の形と結合の方向

・・・核間領域に電子密度を集めてポテンシャルを下げる
   電子の負電荷が原子核を接着する

sp3・・・立体(四面体)

 メタン      アンモニア      水  ":"は非結合電子対

sp2・・・平面

面内の3つが混成でできたσ軌道
面に垂直な1個の軌道がπ軌道   σとπについては後述
実はsp3からもσとπが作れる
上式左辺は化学屋が普通につかうsp3混成軌道
(例えば水の2対の非結合電子・・・VB法)
右辺はその線形結合を取り直してσとπに直したもの
(ハミルトニアンの点群対称性を満たすのはこっちの方で,分子軌道計算ではこれが求められる.)

質問:水のMOでσとπは縮退していないのに線形結合を勝手に取り直していいのか?

回答:完全に占有された軌道間では線形結合取り直し(ユニタリ変換)は許される.ハミルトニアンの固有関数と見なしているのは完全占有軌道からつくられたスレーター行列式で,行列式は中身の行列 X のユニタリ変換 U で不変であるから(det[U*]=det[U]=1だからdet[U*XU]=det[U*] det[X] det[U]=det[X])

補足:この問題は,固体のバンド計算に当てはめると,局在軌道(Wannier関数)とBloch関数の対応に相当する.ハミルトニアンの並進対称性の要請を満たすのは,Bloch関数で,これが分子のMOに対応.

sp・・・直線

σ軌道1つ(上の左のうちの1つ)とπ軌道2つ・・・三重結合

σ軌道とπ軌道(分子の骨と肉)

σ: 結合軸を含む平面内に電子密度最大・・・強い結合(分子骨格)

   +核どうしを電子の負電荷で接着
   +核から強く束縛されている

π: 結合軸を含む平面上で電子密度ゼロ・・・弱い結合

   二重結合の2本目
   核からの束縛が弱いので,何かあったとき動きやすい

        σとπ            二重結合の1本目と2本目
同様に,=Nーとか=Oに対して,

 (非結合電子対":"はσ)
π電子(1個)が二重結合の2本目に参加.

 に対しては,

非結合電子対はπ
注意:これは平面三角形構造の場合に限った話(普通の窒素化合物は非平面;非平面ならσとπの区別は不明確.)

非結合電子2対はπとσ


結合性・反結合性・非結合性

電荷分布を考えればエネルギー順がこうなるのは明らか

形式荷電(その2)・・・+, −および・(つまり結合電子対の分割法)

ケース1:(virtualな)電子対の片寄り(イオン化)

 結合電子2個ともBに帰属させる



反応中間体としてvirtualな片寄りをいうとき、
+の原子上にはLUMOが集中(そこが電子対を受け入れる)
−の原子上にはHOMOが集中(そこが電子対を他に与える)

練習問題

    のNとOの上に書く電荷は?

この流儀で行けば,一酸化炭素COはと表せる.
双極子モーメントの実測,金属に対する結合,HOMOの分布はこれと一致する(単純に電気陰性度で考えるのはダメ)


ケース2:結合の等分割 ---> 不対電子2個(荷電は変わらず)

こう描けば,BEDT-TTFの端っこがなぜエチレン基と呼ばれるかわかる

片寄りか等分割か?・・・Charge separation か Mott ins. か?

ある原子の周りのbondの数の過不足

過不足の基準

H:1本,C:4本
この2つは非結合電子をもたず,これより結合が増えることはない.結合を減らしたときにその電子2個をどこにやったかで電荷が決まる.
N:3本,O:2本,F:1本
これらは非結合電子対の動きに注目・・・結合過剰(非結合電子が結合に使われて相手原子と分割)なら+に,結合不足なら−(非結合電子が増えた)か・になる.
注意:酸素分子O2は,O=Oではなくて・O−O・
Si,P,S,Se,Cl,Br,Iなど
基本的には周期表の同族のC, N, O, Fと同様だが,配位結合によってさらに多数本の結合をつくることがある.(配位については後述)

練習問題

 の各原子に電荷を割り当てよ.



左は非結合性 π 電子が2個,1個,ゼロの場合.
右は非結合性 σ 電子が2個,1個,ゼロの場合.

ここで書いた電荷はあくまでも形式荷電
R=N+H-R, H3O+ などと書いてあっても,+電荷はNやOではなく,Hの上にある.

3. π電子の数

固体ではband-fillingは重要
同様に,分子の安定性・反応性では,電子数が重要

  いずれもπ電子2個(2πと呼ぶ)
電車の窓の広告にあるパイウォーターって何でしょうね???

 4πです


上は6πの例です.下記のユニットのπ電子数を数えればよい


N,O,S,C-の所には,2個の非結合π電子がある)

 これらも6πです.
次のユニットの非結合電子は,ゼロかσ軌道に入っています.だから二重結合の箇所だけ数えればよい.


左辺は8π,右辺は10π(2π+2π+6π).TCNQも同様.


中性TTFは14π.1電子奪うと,13π(6π+7π)


これらは10πです.


4. 結合の形成(〜バンドの形成)

軌道間の重なりのタイプ

homo:

hetero:

    heteroの場合,「配位した」と呼ぶ.


配位

 Bの非結合電子対がAの空軌道に.
できてしまえば普通の結合と同じ


酸-塩基・・・Pair (valence bond; "-") の受容体・供給体

つまり配位結合するものは酸-塩基対

化学的金属性・非金属性・・・M−O−H どっちで切れるか?

ちなみにC-M結合(Mは金属)は非常に切れやすい(できにくい).
C-M結合を含む化合物を「有機金属」(Organometallics)という.
この言葉を「有機導体」(Organic metals, Organic conductors)の意味や,C-M結合なしで単に金属を含む有機化合物(Nで配位しているような錯体など)の意味では使ってはならない.

 電荷移動錯体の形成

D−Aのbonding軌道はDのHOMOとAのLUMOの混合
ここに電子が入るということは,DからAに電子が部分的に移動したと見なせる:D+A --> Dδ+−Aδ-
もし閉殻(電子対)だけに終始しているなら,配位とほとんど同義

DのHOMOがAのLUMOよりずっと上にあるときは,

 完全な電荷移動(イオン化)
例:Na +Cl --> NaCl (Na+Cl

注意

Mixed Stack:  ・・・ D A D A D A ・・・
 伝導性が得にくい構造

Segregated Stack: ・・・ D D D D ・・・
            ・・・ A A A A ・・・
 伝導性がでやすい
例:TTF-TCNQ

どういう場合にどちらになるか?
(当日議論がありましたが,正確なことは忘れてしまいました.
 御崎さんに訊いて下さい.)

Mixed Stackでmetalや超伝導は出るか?---1999年に超伝導実現

CT(電荷移動)塩:  D D D D
  X   X
 大多数の金属的有機(超)伝導体


  (中性の・PF6 は非常に不安定)

  


特殊な結合

三中心二電子結合
 結合電子対が3原子間で非局在化
原子の数や分子の形よりも,電子対形成が優先(電子対を3原子で共有)
この言い方でいうと,金属結合は∞中心結合!

π錯体
 π電子も金属に配位する
右(さらにd電子が空π軌道に配位)も起きるとき,back-donationという

hypervalent (d軌道の混成,pπ-dπ)
窒素,リン,イオウ,塩素,ヨウ素などは,色々な形式荷電を示す.

最上段は最もイオン結合的な見方,その次の段は最も共有結合的な見方.
第3段と第4段は,配位の考え方を使ってClの荷電を0か-1に固定したもの(通常使われない---答案に描くと×になる---が,第3段は有用である.)
要は,「形式」を上手に使いこなして,目的に沿った道理が立てられればよい.
 チオ硫酸イオン(まん中のSは4価,末端Sはゼロ価)
反応:S2O32-+2H+ --> S02 + H2O + S を見れば,1つのSはS02のSと似た状態で,もう1つのSはほとんど0価であろうと推定できる.
が結局,共有結合が存在するときの形式荷電は形式的なもの.

このようにイオウやリンやヨウ素は,sp2混成では説明できない結合本数・結合角を示すことがある.

これは空d軌道が結合に関与しているとして理解されることが多い.
(3番目の五塩化リンは固体では,[PCl4]+[PCl6]-のイオン結晶)
さらに有機化合物中では,SやPの空d軌道がπ結合形成に参加して,σ電子の「異常な」片寄りを安定化する.

  
隣の炭素が陰イオンの性格をもつことを利用して,特徴ある有機合成試薬となる.

水素結合
 
H位置の二極小ポテンシャル(一極小のこともある)
典型的にはX,Y=N,O,F
+にXやYが配位していると見ても悪くないが,Hが軽いことによる特殊性がある.--> むしろXとYの結合と見なすこともある.
結合方向はXやYの非結合軌道の方向で決まる(大抵X-H-Yが180度)
弱い水素結合として,CHとSやClの相互作用が取り沙汰されることがある.

金属間化合物(結合)
古典的な例:Cl-Hg-Hg-Cl (塩化第一水銀)
興味ある磁性を示す多数の金属間化合物が存在する.
(重い電子系,価数揺動系,遍歴電子弱強磁性体 etc.)

包接化合物

その他,ゼオライト(モレキュラーシーブ)
層間化合物(グラファイト,粘土などの層状化合物の層間に分子やイオンが取り込まれたもの)

これら特殊な結合状態の固体物性への応用は?

もっと変な結合が関与する変な電子物性、ってないものでしょうか?

・・・


5. 分子(構造式)の安定性

原子配列の変更(化学反応)



この例の水のように低エネルギー・高エントロピーの(=ありふれている)分子が生成する反応は起きやすい(他に,CO2,N,NaClなどが生成する場合)

立体的要因
不自然な結合角 --> 不安定

立体障害(衝突)
ビフェニル

ビフェニルはπ電子の非局在化からすれば平面になった方が低エネルギーだが,気相中ではねじれて回転している.(固体中では,分子のパッキングをよくするために平面になっている.--- PCBの最後のBはビフェニルです.平面性のよい塩素誘導体は,ダイオキシンとともに,猛毒です.)


DMe-DCNQIが左のようになっていて右のようにならないのも立体効果

保護

不安定な不対電子などもbulkyなもので囲んでしまえば安定になる

電子的要因・・・分子軌道と電子数,非局在化・・・後述

環境  温度、濃度,圧力その他(熱力学的に判断)
    対HO,対O (地球上で扱うには)


6.π電子の非局在化

環状共役系の分子軌道---実はBlochの定理



この場合,対称性だけ使って一電子ハミルトニアンの固有関数が求められる.
分子軌道を原子軌道の線形結合とする 
すべてのφは等価だから(回の回転対称性)

ということは

c0 = 1 としてもよいので,

係数

は,N回巡回群の規約表現という.
固有関数を実数に直すには,縮退している2つの和と差をつくって規格化し直せばよい.

一体ハミルトニアンの行列要素(最近接近似)
 それ以外ゼロ

エネルギー準位
固有関数既知なので,行列固有方程式

に代入すればエネルギー準位 En は簡単に求められる.その結果は

半径2|β|の円に内接する正N角形(一番下に頂点1つを置く)を描くと,各頂点の高さがエネルギー準位.(円の中心をエネルギーゼロとする.)

N=5  N=6


4n+2電子系(Huckel則)

完全に閉殻・・・特に安定=個別のπ結合の反応性低
芳香族性=非局在化は,Nではなく、電子数で決まる。

環電流効果

Hin (環内の磁場)< Hext (外からかけた磁場)< Hout(環外の磁場)
NMRの共鳴磁場シフトとして観測される.

4n電子系


    

これはJahn-Teller効果である.

電子数を変えて4n+2にすると,安定性と平面性が高くなる.

n≧2の例

縮環系

N---> ∞ の極限では,
1次元 uniform chain のバンド計算(周期的境界条件)

-----------------------------------------------------
 有限N(分子)     無限大N(結晶)
-----------------------------------------------------
 exp[i (2πn/N) j]    exp(ikx)
 巡回群         並進群(Blochの定理)
 結合交替        CDW,spin Peierls
 スピン状態       磁性
 環電流         サイクロトロン運動,超伝導,
               Landau 反磁性
-----------------------------------------------------


7. 分子内の相関 --- 以下はちょっとした問題提起です

π電子系の拡がり=共役/芳香族性(非局在性)の有無
分子が大きくなっていったとき,どこまで共役がつながっているといえるか?
--- 固体でいうと,Bloch波動関数がどれだけ意味をもつか?平均自由行程はどれだけか?ということ

π系を通じての情報伝達


共役鎖上,1原子おきに負電荷伝達


スピン密度も1原子おきに伝達

分子軌道の位相相関(反応性)

VB=電子対波束の運動?? 

System size 大
Weak transfer ではどうなるか?

分子内相関が分子間相互作用と同程度まで弱まると...
分子の電子状態変化が固体物性に反映されてくるのでは?
例えば,
分子から分子へと電子がtrabsferしていくとき,
分子の右側を通るか左側を通るかの区別が意味をもつとき,
在来の分子性伝導体とは異なる伝導機構が...

共役のvariation ・・・非平面系

フラレン

スピロ共役
 直交2平面間の非局在化

σ共役

超共役

スピンの伝達
拡がったπ共役電子系でのHund カップリング

非結合軌道の縮退 --> Topological な機構で分子内にSDW
(Spin polarization) <--> 多体効果&量子効果

Spin vs. Charge
局在   非局在


これはスピン電荷分離?

講演:1996年12月 「第2回 有機固体若手の会」箱根静雲荘にて
html版初版:1999年7の月
著者:田村雅史

tamura@ph.sci.toho-u.ac.jp